放射能のゴミを考える

核燃を進めることで子ども達に残すのは「放射性廃棄物」と「放射性廃棄物の処分場を決める争い」。せめて処分場を決める争いは、今大人の僕らが受けなければと言い続けてきた。

しかし福島原発事故がおき、除染・避難・ガレキ・給食・選挙などを巡る争いを見ているうちに本当に怖くなってきた。事故がおきれば、放射能が漏れてしまえば、同じ方向を向いている人でさえも争いが起きてしまう。

僕らはえらいものを背負っていることをもっと自覚しないといけないかも。

その為にも、原発はもちろんのこと核燃サイクルを止めないといけない。処分場が先に決まってしうと、それを理由に推進の歯止めがきかなくなるから。

反対するのが好きなわけじゃない。「未来が」「子供たちが」は綺麗ごとに聞こえるかもしれない。だけど、国や電力会社が安全と言えば、高レベル放射性廃棄物(人が近寄ると十数秒で死んでしまう)を自分たちの町に埋めるだろうか。埋めるわけがない。

どこに決めるにしても、辛く苦しい争いがまっている。それが分かっていても先送りにすることは僕にはできない。ましてや、それを増やし続けるなんてもってのほか。

一歩一歩だし継続なんだけど、もう増やしてはいけないんだよ。この状況がもどかしい。

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